工作記事専門家・バカ朝日代表アナキスト「北野隆一」

平成28年(2016)4月26日(火)    平成25年9月ブログ開始     

工作記事専門家・バカ朝日代表アナキスト「北野隆一」




新聞読んでいて、そう言う事があったのかと新しい情報を得たり、成程そう言う事かと、事件に納得がいったりすることが多い。
これは新聞の良いところだ。
ところが、これは面白い記事だなと読み終わって、その記者の名前を見ると、とたんに「ホンマかこれは?」と、疑り深くなることも多い。
この記者、今度はどんな陰謀を企てているのやらと。
その典型記事が編集委員・北野隆一ほか二名による以下の記事だ。



平成28年4月27日   東京本社版  朝刊社会面 34面
報道の自由海外から警鐘
国連が調査・NGO[世界72位」


北野隆一の記事については過去に数回取り上げたことがある。

直近では、


平成28年(2016)2月26日(金)  
偽シンポ記事をばら撒くバカ朝日記者・北野隆一


<u>平成28年2月24日(水)   東京本社版 朝刊  東京 むさしの  第29面
慰安婦日韓合意を考える連続シンポ
千代田で27日と3月19日DSC05996_convert_20160226203051.jpg

そしてさらに過去二回。

平成26年6月18日 (水)      
編集委員・北野隆一は暴力幇助の反社会的人物だ


<
平成26年6月14日(土)  東京本社版 第二東京 第28面
ヘイトスピーチを考えるシンポ差別温存の社会にメス必要  レイシズム許されぬ空気を


及び、

平成26年7月22日(火)    
暴力扇動記者 北野隆一編集委員


平成26年6月14日(土)  東京本社版 第二東京 第28面
ヘイトスピーチを考えるシンポ差別温存の社会にメス必要  レイシズム許されぬ空気を
DSC04017_convert_20150812211255.jpg

だ。

今回の記事では、見出しに加えて、出だしからこう書いている。

 日本の「報道の自由」が脅かされているとする見方が海外で広がっている。来日した国連の専門家が懸念を表明。国際NGOが公表した自由度ランキングも大きく後退した。政治の圧力とメディアの自主規制が背景にあると指摘している。

一体何を根拠に、
日本の「報道の自由」が脅かされているとする見方が海外で広がっている。
等といえるのか?
「海外で」って何処を指しているのか?
「海外で」っていえば済むもんではない。
読者を馬鹿にするな、である。


続いてこう書いてある。

「報道の独立性が重大な脅威に直面している」。19日に東京都内で会見した国連特別報告者のデービッド・ケイ米カリフォルニア大アーバイン校教授(国際人権法)は、政府や報道関係者らへの聞き取りをもとに、暫定的な調査結果をまとめ、日本の言論状況に警鐘を鳴らした。

「報道の独立性が重大な脅威に直面している」だと?
そうなのか?北野に大島隆よ。
わざわざ外人に聞かなくったってアンタラは当事者なんだからわかるだろ。


それにこの国連特別報告者のデービッド・ケイって何者やねん?
どんな資格で日本にやってきて勝手なことをいいってんの?
国連のどこの部署のなどんな意思、方針、任務にもとずいて日本に来てるの?
ケイ氏に面会したフリージャーナリストって誰なの?
重要なことだろ?
名前を書け。

記事の中ほどに、

20日発表の「報道の自由度ランキング」で、日本を世界180カ国・地域で72位とした国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は「多くのメディアが自主規制している。とりわけ、首相に対してだ」と断じた。2010年の11位から下がり続けており、「安倍政権となってからの順位低下が著しい」という。

とあるが、国際NGO「国境なき記者団」って一体何者やねん?
国連とどんな関係があると言うの?
ホンマに胡散臭い。
しかも、多くのメディアが自主規制をしている。それは安倍首相に対してだ。と言うに当たっては、
何や、狙いは安倍首相かい。バカ朝日の「天敵安倍首相追い落とし工作」かい?
それこそ「阿保か~」である。
今更言うまでもないがバカ朝日のいつもの手だ。
「自分でダメなら外人を使え」と言ういつものあれだ。
バカ朝日の北野隆一は、ジャーナリストでも新聞記者でもない。ただのバカ朝日社員だが、日本人として恥ずかしくないのか?

こうも書いてある。

 日本で活動する記者らと連絡をとるアジア太平洋地区担当のベンジャマン・イスマイールさん(34)は、「メディアに属する記者は(組織の)上からの自主規制を受けることが多い。政治的に微妙な問題に触れるような場合がそうだ」。

北野よ。そうなのか?バカ朝日では、あんたの上の人は、あんたら社員に自主規制を命じ、あんたら社員はそれを受け入れているのか?
こんなことは取材しなくたってわかるではないか。答えておくれ。

更にこうも書いてある。

■国連のデービッド・ケイ氏の日本の言論状況への指摘
・政府は(政治的公平性などを定めた)放送法第4条を廃止し、メディア規制から手を引くべきだ
・自民党の憲法改正草案21条で公益や公の秩序に言及した部分は国際人権規約と矛盾し、表現の自由と相いれない
・特定秘密保護法は秘密の範囲があいまいで、記者や情報提供者が処罰される恐れがある
  ・慰安婦問題を報じた元朝日新聞記者の植村隆氏やその娘に対し、殺害予告を含む脅迫が加えられた。当局は脅迫行為をもっと強く非難すべきだ
・沖縄での市民の抗議活動への力の行使を懸念
・記者クラブ制度はフリー記者やネットメディアを阻害


これを読むと、やはりケイとやらもアメリカの大学の教授と言うことだが、バカ朝日と価値を同じくするアナーキストだ。

爆弾こそ使わないんだろうが、こんなのに日本を引っ掻き回されてはたまらない。




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戦後71年。馬鹿なままのバカ朝日

平成28年(2016)4月22日(土)    平成25年9月ブログ開始     

 
戦後71年。馬鹿なままのバカ朝日



平成28年4月   東京本社版  夕刊 15回連載 
人生の贈り物 わたしの半生
ジャーナリスト・評論家   立花隆(75)


天才  石原慎太郎著   幻冬舎
第一刷発行  2016年1月20日
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石原慎太郎が田中角栄本「天才」を著した。第一刷がこの1月20日で、もう30万部も売れているというベストセラー本だ。
このブログ主も読んでみた。
豊臣秀吉の物語なら、それが本でも映画でもTVでも、何度見ても読んで面白いのと同じでこの「天才」も確かに面白い。

田中角栄こそ、まさに明治以降に日本にあらわれた政治の「天才」・英雄であろう。

日本の現代社会を成立させている原理と言うかルールと言うか、それは三つある。
即ち、「一人一票・民主主義」と「先ずは立憲・法治主義」と「金で解決・資本主義」である。

この三つを見事に、最大限に駆使して政界の、いや日本社会の最高位に立ったのが田中角栄であった。
「一人一票の民主主義」、彼は国民(地元民)の圧倒的多数の票を得、国会に登場した、そこでも圧倒的多数の代議員
の票を獲得し行政のトップとなった。
さらに法治主義に忠実に、多数の立法を成立させた。
そして、全ては金があってこその「資本主義」にもとづき、莫大な予算・資金を獲得して彼の立てた国家目標を実現していったのであった。
ここまでは国民、拍手喝采であった。

しかし出る杭は何とやら、支那やアメリカと対等に並び立つ「独立国・日本」の宰相として立てば、支那は兎も角、日本を属国の地位に押し留めておきたいアメリカの不興を買わざるを得なかった。

田中角栄は日本の三つのルールにのっとて最大限の仕事をしたのである。
だがアメリカの仕掛けた「受託収賄」の咎によって、逮捕され、起訴され、被告の身となってしまったのであった。

彼を失脚させるべく繰り出したアメリカの具体的策略に加担して彼を葬ったのは、日本の外務省、司法、検察の高級官僚はじめ政敵の三木武夫、彼の次を狙う政治家たちであった。
勿論、マスコミはその先導役を果たしたのであった。
鉦や太鼓で囃子立てるが如くにだ。

国民も、彼の「金で解決・資本主義」が、やり過ぎだの、金権主義だのというマスコミのその煽動を真に受けて、その失脚に納得をしてしまったのであった。

今、バカ朝日は、石原慎太郎の著作「天才」出版と時を同じくして紙面に立花隆を取り上げている。
確かに立花のその博覧強記ぶり、真理追及の能力は天才的だとも言える。
彼の、田中角栄の金脈追及レポートが、角栄失脚を国民をして納得させたことに大きな力を発揮したのは言うまでもない。

ブログ主は思いだす。文芸春秋誌に載った彼の「田中角栄研究」。その真実を追い詰める手法には感嘆したものだった。
また彼は、角栄が逮捕・起訴されての裁判闘争を、当時まだあった筑紫哲也編集長の「朝日ジャーナル」誌に連載・報告した。
そこでは、当時の上智大学・渡辺昇一教授との論駁の応酬があり、それこそ手に汗握ったものだった。
そして、若かったブログ主は立花を応援していたのだった。

今回、バカ朝日に立花が登場したのは果たして偶々なのか?

なんせ、バカ朝日は逃げるのがうまい。責任回避の術にたけている。
自ら作りばら撒いた捏造記事にさえ、責任を感じていると見せかけるために「第三者委員会」なるものを作って見せて、当事者としての責任を回避をするのだ。

だから今回も、立花隆を起用し、彼に石原慎太郎の著作「天才」に対するケチ付けを、或いは何らかの一撃を加えさせようと画策したとしか思えないのだ。
立花はその手には乗らなかったが。

ブログ主が言いたいのは、田中角栄の「犯罪」追及も結構であるが、「独立国」日本の最高指導者を追い落とした「宗主国」アメリカの所業をこそ「調査報道」すべきだということである。
「調査報道」なるものを売りにしているではないか。
それをしないバカ朝日は、
GHQの対日政策であった検閲と自己規制なるものを検証・弾劾せず、或いはまた、戦力不保持の憲法に違反する米軍の駐留を裁く司法に干渉して、最高裁に、違反ではないとの判決を出させたアメリカの悪事を追求せず、それどころか賛同して見せたバカのままであるが、戦後71年、今なをバカに加えて卑怯で、臆病者の算盤勘定だけが得意な新聞屋に過ぎないのだ。


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三島憲一  WEBRONZA バカ朝日(三島憲一さんよ、日本国民を辞めれば?)

平成28年(2016)4月11日(月)    平成25年9月ブログ開始      

三島憲一 WEBRONZA バカ朝日(三島憲一さんよ、日本国民を辞めれば?)




ここの所、忙しいのと、バカ朝日本紙に喰い付けるような記事が見当たらなかったので投稿できなかったが、何かの拍子に「WEB RONZA」なるものに出くわし、以下の記事を読むことができた。

WEBRONZA  4月4日 
政治・国際
「君が代」とは別の「第二の国歌」があれば理想だ
野球観戦に耳栓は持って行きたくない   2016年4月4日
三島憲一


書き手の三島憲一さんとは、
大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)
大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

とある。

全文以下にコピーします。



成熟度を示す球場の観客 
ときどきプロ野球の試合を観戦に行く。多くの球場では試合開始直前に「君が代」が演奏され、スタンドの観客も一緒に歌う。たいていの方は口パクのようだが、演奏前に「ご起立ください」とのアナウンスがある。
小生はもちろん立たない。野球と「君が代」となんの関係があるのだろう。歌うと贔屓のチームが勝つなら歌ってもいいが。
 われわれの子供の頃は、大会社につとめているエリート・サラリーマンたちでも「君が代」を「ああ、相撲の歌か」と言って笑っていた。

 しかし、日本の市民の成熟度を示すのは、10人にひとりぐらいだろうか、あるいは、もっと少ないか、ひょっとしてもっと多いかもしれないが、やはり起立の要請に応じない観客が結構いることだ。
 ビールを飲みながら座ったまま雑談を続けている女性同士の観客もいる。
 いや、成熟度を最もよく示すのは、そういう観客に「なんで、あんた立たないんだ!」「国賊か!」「中国の手先か!」などとなじる人を見かけたことがないことだ。起立しない側も身構えずに、スマホで他の球場のスタメンをチェックしながら、質の悪いスピーカーから流れる音楽が終わるまで気楽に座りっぱなしでいられることだ。
 いろいろな考えの人がいることを皆さん、直観的に知っているのだ。うるさく言えば、価値観の多様化である。
 あるいは、皆さん、早く儀式を終わらせて、そのために高い入場料を払っている試合に入りたいだけのことかもしれない。これも価値観だ。

 昔は、演奏そのものも「起立」もなかった。多分アメリカの球場の慣行を真似たのだろうが、いつの頃からか、すべてのスタジアムではないが、「相撲の歌」だったのが、「野球の歌」になってしまった。
 もちろんこの流れにはある種の力が働いていよう。そして、「国賊か!」という叫びが聞こえない事態がずっと続くと断言できるほど、わたしも能天気ではない。

 早い話がすでに法制化されていて、学校ではさまざまな儀式(日本では学校儀式が、この絶えざる服従の訓練が多すぎる)に「君が代」を歌わねばならないようだ。主義として歌いたくない教員にはいかに苦痛なことだろう。給料をもらうためのうわべだけの服従では、国もなんの利益にもならないはずだが。
 大谷の快速球を、筒香の鋭いスイングを見たさに、面従腹背はしたくない。「良心を売れば野球を見せてやるよ」はないだろう。

「君が代」につきまとう“思い出” 
ましてや、国立大学の卒業式や入学式に「君が代」を歌うのが「国立である以上当然だ」といった文科相の発言は、民主主義社会における価値観の多様化をまったく無視したものだ。

 カネ儲けがすべての人もいれば、カネよりも自分のしたいことをする人もいるし、一流大学を出て国家に尽くしたい(本当は自分の充実感のためだろうが)人もいれば、国家などまったく興味のない人もいる。
 それに国立大学に回るお金は、国民の税金であって、本当は民立大学なのだ。そして民は多様なのだ。
 おまけにこの「君が代」には忌まわしい思い出がつきまとっている。
 日本の侵略戦争を讃えて、いくど歌われたことか。戦争に行かざるを得なかった人々が、時には心からであれ、いくど歌って、そして帰ってこなかったことか。いかに多くの相手国の人々が殺戮されたことか。

 「ラ・マルセイエーズ」のように、圧政に逆らって自由と人権を獲得した「反逆罪」の記憶が「君が代」にはいっさいない。侵略の歴史と押しつけ憲法(現行憲法のことではない、上からの押しつけの明治憲法のことである)の下での「君が代」に距離を持ちたい「不逞の輩」がいることは仕方なかろう。私の小学校のクラスでは2割近く、お父さんのいない生徒がいた。
 フランスの詩人ボードレールは、殺人や汚職の記事に溢れた新聞を朝のコーヒーとともに読める神経を疑う、と述べたが、殺戮の記憶に満ちた歌を初夏の午後の日曜日、プレーボールの前に歌える神経を疑いたい。

 実は「君が代」の曲は宮中雅楽の曲想に、1880年に当時海軍軍楽隊の教師だったドイツ人音楽家フランツ・エッカートが洋楽の和声をつけたものである。西洋のモーニングを着て自衛隊の観閲式をする首相の姿と同じに滑稽と言えば滑稽だ。純粋に日本式なら観閲式には羽織袴で立ち、君が代は雅楽で演奏すればいい。
 エッカート氏はその後一旦帰国したあと、大韓帝国の招きに応じ、その政府に仕えた。1902年には、西洋の別の研究者が集めた韓国の民謡にヒントを得てだそうだが、大韓帝国の愛国歌(今の大韓民国の愛国歌ではない)を作曲している。
 韓国でのある学会で、この経緯について報告をした韓国の若手学者は、「君が代」をカセットで聴衆に聞かせたのちに、大韓帝国愛国歌のスイッチを入れる時にニヤリとしたのを覚えている。
 日本および韓国のナショナリストへの皮肉のニヤリであり、挑発のニヤリだったのだろう。嫌いな国同士の国歌の作曲者が同じドイツ人とは! 音の続け方などに似ているところがあると言えば、似ているのだ。それは、地元の音楽に西洋の和声をつけたフュージョン性に由来している、という発表だった。

オーストリアのポップな「国歌」
 実は日本だけでなく、多くの国で国歌について一致がみられないのは、当然だろう。
 例えば音楽の国オーストリアには、戦後のオーストリア共和国の成立にともなって、公募によりできた国歌がある。しかし、歌詞を見ると高校野球で歌われるどれも似たような悪趣味の歌詞とおなじで、国民の間に根づいているとは言えない。
 スイスもこれまでの国歌の歌詞があまりに古くさくなったので、公募で新しい国歌を作る動きがあるが、先行きは不透明だ。オーストリアにはしかし、1990年頃から「第二の国歌」と言われるポップソングがある。オーストリアン・ポップの第一人者ラインハルト・フェンドリヒによる I am From Austriaという英語のタイトルだ。

 「かつての栄光は終った。地獄も見てきた。名声と栄光はいくらも残っていない。この国の人のことも、ネズミのこともよく知っている。絶叫したくなるほどのバカさ加減も。でもこの国の光も影もわたしのものだ。……」ときついオーストリアなまりのテクストが続き、最後に I am from Austria という2行のリフレインが英語でつく。
 ハプスブルク帝国の栄光、そしてナチの地獄の負の遺産を見つめたこのポップスには、自分の国の過去と現在へのひややかな、しかし心のこもった距離がある。
 「バカさ加減」は、政治のあり方を、コネと情実のまかり通る構造的汚職などもさしているかもしれない。それでも、いくらひどいことがあっても、「私はオーストリア出身」という変えられない事実を引き受けるという趣旨の歌詞だ。
 アメリカでの演奏旅行などでナチスの過去のことを尋ねられているうちに I am from Austria と思いついたと、フェンドリヒは述べている。批判と打ち消せないアイデンティティとの、「いやだ」と「それでもいいよ」との巧みな混在。
 この歌は受けに受けて、私が講師として参加したチロル地方でのサマー・スクールでは夜のパーティで若い人たちが恍惚として合唱していたのを覚えている。

それでも I am from Japan と言える歌を 
オーストリアと言えば、「世界に冠たるドイツ」と誤訳されるドイツ国歌のハイドンによる曲も、もともとはオーストリア皇帝フランツ2世に捧げたものだった。のちにドイツの愛国詩人の歌詞がついた。
 その頃は、ドイツは分裂していたので、「なによりもまずドイツを」「ドイツをなにより愛している」という意味の愛国歌詞となった。だが、現在ではこの歌詞も「自由、統一、兄弟愛」などが歌われている第三聯しか国歌としては歌ってはならないことになっている。
 領土獲得の野望とも受けとれる第一聯(ナチスが事実上の国歌の前唱部にしていた)、ドイツ女性の「操」も歌われている第二聯は、現在ではとんでもない、として歌われない。
 この歌も、当初の意図とは別に、やはりその血塗られた歴史のゆえに、距離を取る人も多い。
 1989年11月9日、ベルリンの壁が開いたその日、緊急に開かれた連邦議会で誰からともなくこの歌が歌われ、大合唱となったが、その時に、緑の党の党員で、後に連邦議会の副議長も務めたアンチェ・フォルマーは「げ〜、なんだってここまでしなければならないの」と隣の議員に呟いたそうである。

 ちなみにドイツ国歌は「国家の公式の行事に演奏される」だけであり、学校や大学では、ましてやブンデスリーガのキックオフの前には歌われない。
 価値観の多様な現代では、国歌などは歌いたい人だけが歌えばいいのであって、血塗られた歴史のゆえに歌いたくない人に押しつけるのは、セクハラと同じだ。そういえば、ナショナリストはセクハラも好きなようだが。
 理想はオーストリアのように「第二の国歌」「隠れた国歌」があることだ。「地獄」も「バカさ加減」も歌い込んで、それでも I am from Japan と言えるような。
 
韓国にも第二の国歌として「アリラン」がある。イタリアではヴェルディのオペラ『ナブツコ』で、バビロンからふるさとを思うユダヤ人たちの歌「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」が、やはり分裂していたイタリアの当時の状況から今でも「第二の国歌」になっている。これだけはオペラで例外的にアンコールが許されている。
 しかし、美空ひばりも吉永小百合も浜崎あゆみも、そうしたものは提供してくれていない。こんどオコエ君を見に行くときは、国歌演奏に備えて耳栓を持って行こうかな。

(以上コピー終わり)


此のおっさん(いや爺さんか?かく言うこのブログ主もそこいらのオッサンであり爺さんであるが)はとにかく「君が代」と言う国家を歌いたくないのだ。
で、その理由が明確に述べられてはいない。
敢えて探すと、

 >しかし、日本の市民の成熟度を示すのは、10人にひとりぐらいだろうか、あるいは、もっと少ないか、ひょっとしてもっと多いかもしれないが、やはり起立の要請に応じない観客が結構いることだ。

とあるので、歌うことは「日本の市民の成熟度が低い」ことなので、成熟度の高い俺は歌わない、ということであろう。
ではいったい「市民の成熟度」って何なのだ?
それに市民て一体何なのだ?こう言う左翼爺さん(多分そうだろう。この爺さんの著作物を読んでいないので)は、判を押したようにすぐに市民、市民と言うのだ。市民である前にまずは国民であるのに。

国歌を歌うことと市民としての成熟度なるものとは全く関係がない。国民としての成熟度とは関係があるがね。
そして、日本の市民、即ち日本の国民としての成熟度が高ければ高いほど国家に感謝の意を表する国歌斉唱の機会を尊重するであろう。

こうも言っている。

> いろいろな考えの人がいることを皆さん、直観的に知っているのだ。うるさく言えば、価値観の多様化である。

恐れ入りました。国歌斉唱を拒否することは価値観の多様化で、良きことだというのだ。

こうも言っている。

>ましてや、国立大学の卒業式や入学式に「君が代」を歌うのが「国立である以上当然だ」といった文科相の発言は、民主主義社会における価値観の多様化をまったく無視したものだ。
 カネ儲けがすべての人もいれば、カネよりも自分のしたいことをする人もいるし、一流大学を出て国家に尽くしたい(本当は自分の充実感のためだろうが)人もいれば、国家などまったく興味のない人もいる。
 それに国立大学に回るお金は、国民の税金であって、本当は民立大学なのだ。そして民は多様なのだ。
 おまけにこの「君が代」には忌まわしい思い出がつきまとっている。



これを読めば、何のことはない、この爺さん反国家主義者であり国家はいらないとする無政府主義者ではないか。
国家など要らない。民があればいいという、トンでもない無責任爺さんなのだ。
ホントに馬鹿だ。
民主主義も価値観の多様化もそれを尊重する国家であればこそ、その国民はそれを享受できるのだ。
それが日本と言う国なのだ。
その日本に感謝し、国旗掲揚を行い国家を歌う。
この三島とかいう爺さん、どっかの大学の名誉教授だから知識だけは沢山お持ちのようだが、人としてお粗末すぎる。

> おまけにこの「君が代」には忌まわしい思い出がつきまとっている。
 日本の侵略戦争を讃えて、いくど歌われたことか。戦争に行かざるを得なかった人々が、時には心からであれ、いくど歌って、そして帰ってこなかったことか。いかに多くの相手国の人々が殺戮されたことか。



この爺さん、1942年生まれだというから、74歳か。
戦争に行ったことのある戦争経験者ではあるまい。
全て後から学んだ、後知恵ではないか。

>日本の侵略戦争を讃えて、いくど歌われたことか。

などと、見てきたような嘘をよくつけるものだ。
頭は良いものだから学業優秀せっせと勉強し、戦勝国である欧米民族の歴史学者やら内外の共産主義学者やらの書いた物、唱えたものをより沢山、より深く学んだのであろうが、その分より深く洗脳されてしまったのであろう。
この知能低き劣等生ブログ主からすれば、この学者は知能は高けれど馬鹿だ。
根本的な何か、頭の明晰さ、計算能力の高さと言った頭脳の能力の向こうにある何かが欠けているのだ。

>「ラ・マルセイエーズ」のように、圧政に逆らって自由と人権を獲得した「反逆罪」の記憶が「君が代」にはいっさいない。
だの、

>フランスの詩人ボードレールは、殺人や汚職の記事に溢れた新聞を朝のコーヒーとともに読める神経を疑う、と述べたが、殺戮の記憶に満ちた歌を初夏の午後の日曜日、プレーボールの前に歌える神経を疑いたい。
だの、、

>実は「君が代」の曲は宮中雅楽の曲想に、1880年に当時海軍軍楽隊の教師だったドイツ人音楽家フランツ・エッカートが洋楽の和声をつけたものである。

だの

 エッカート氏はその後一旦帰国したあと、大韓帝国の招きに応じ、その政府に仕えた。1902年には、西洋の別の研究者が集めた韓国の民謡にヒントを得てだそうだが、大韓帝国の愛国歌(今の大韓民国の愛国歌ではない)を作曲している。
 >韓国でのある学会で、この経緯について報告をした韓国の若手学者は、「君が代」をカセットで聴衆に聞かせたのちに、大韓帝国愛国歌のスイッチを入れる時にニヤリとしたのを覚えている。


だのの蘊蓄を援用して君が代を貶めるのだ。
この行為を一体何と呼べばよいのか?
賢明な日本国民である読者諸氏は先刻ご承知のはずだ。

そしてあげくが、

 >価値観の多様な現代では、国歌などは歌いたい人だけが歌えばいいのであって、血塗られた歴史のゆえに歌いたくない人に押しつけるのは、セクハラと同じだ。そういえば、ナショナリストはセクハラも好きなようだが。
 理想はオーストリアのように「第二の国歌」「隠れた国歌」があることだ。「地獄」も「バカさ加減」も歌い込んで、それでも I am from Japan と言えるような。

> しかし、美空ひばりも吉永小百合も浜崎あゆみも、そうしたものは提供してくれていない。こんどオコエ君を見に行くときは、国歌演奏に備えて耳栓を持って行こうかな。


と書くのだ。
何んという傲慢な爺さんなのだ。
オーストリアのそれの様な第二国歌のない国の国歌は聞くのも嫌だし、歌ってもやらないぞというのだ。

いっそ日本国民を辞めたらどうだ。
そして「価値観の多様な市民」とやらになればよい。
アンタのその多様な価値観を保障してくれる国が他にあるというのならその国の国民になればよい。
いや、市民だから、無国籍者で良いのだね。



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コミンテルンの残党・バカ朝日の高浜行人、片山健志、新藤宗幸・千葉大名誉教授は北朝鮮・金政権のお仲間だ

平成28年(2016)4月1日(金)    平成25年9月ブログ開始      

コミンテルンの残党・バカ朝日の高浜行人、片山健志、新藤宗幸・千葉大名誉教授は
北朝鮮・金政権のお仲間だ




平成28年3月30日(水)   東京本社版 朝刊  社会面 第38面
朝鮮学校補助金 再考促す通知
文科省、自治体対応把握へ 支出分かれる判断
(高浜行人、片山健志)





こうとしか考えられん。

かつて、コミンテルンなるものが存在した。今現在それがどうなっているのか知らないので、「かつて」と書くのだが、
国際共産主義運動と呼ばれ、当時勢いのあったソ連・ソヴィエト共産党のレーニン、スターリンなどの有名どころによって主導されていた。
唯物論にもとずくマルクス・レーニン主義をベースとした共産主義を信奉する者が連帯し、世界革命を起こし、世界を支配・差配せんとする運動であった。
そのお仲間が、支那では毛沢東らが率いた支那共産党であり、今も支配を続けている。日本では日本共産党が、そのコミンテルン日本支部として、そのお仲間と言うのか子分として存在したのであった。
スターリンが、その手先として朝鮮に送りこんだのが「金日成」であり、いまも金日成一族が独裁支配を続けている。
日本にては、コミンテルンの下部組織として、あの有名な「ゾルゲ国際諜報団」と、その一員の高等スパイとして勤めたバカ朝日新聞社員記者「尾崎秀美」の暗躍がある。
そして、バカ朝日は、今なお彼等のお仲間として陰に陽にその影響下にある。

ブログ主は、「精神的にそのお仲間として」と書こうとしたが、それどころではないと確信する故に、こう書く。
バカ朝日は具体的に、支那共産党、北朝鮮政府と内通・結託して、彼等の支配下に日本を置こうと画策・活動しているのである、と。

そうとしか考えられない。

支那や北朝鮮の彼等を日本に引き入れる為には、先ず、今の自由主義政権を転覆、抹殺し、その上で、日本の現在の国家体制を破壊しカオス状態に持ち込むことなのだ。
その後に彼らが進駐してくるのだ。
このブログ主がバカ朝日をアナキストの集団と呼ぶのは、バカ朝日がその破壊活動を行っているが故なのだ。

今回の、朝鮮学校に日本人の血税を使え使えと言う一連のキャンペーン記事もその証拠でもある。

先日は、その社説を証拠として以下に取り上げた。

平成28年(2016)3月22日(月)    平成25年9月ブログ開始      

朝鮮工作員か?社説記者は。

平成28年3月21日(月)   東京本社版 朝刊  オピニオン 第8面
社説
朝鮮学校補助 子どもらに責任はない


そして今回、は冒頭の記事だ。

そもそも、日本を敵国だと認定し、日本に核ミサイルを撃ち込むぞと常に脅しているのが、北朝鮮なのだ。
そんな国の子弟を教育する学校が日本に存在するだけでも許されざることなのに、あまつさえ、税金を投じて援助せよというバカ朝日の主張。
記事にこうある。

新藤宗幸・千葉大名誉教授(行政学)は「事実上、補助金はやめなさいと言っているに等しい。
<略>
>そのうえで、「朝鮮学校は北朝鮮のイデオロギーを広める学校ではない。北朝鮮への対応とは分けて考えるべきだ」
>と指摘する。


じゃ、何のための学校なのだ。自国民を教育し育てる、即ち北朝鮮のイデオロギーを教え込む為ではないか。
そうでないというなら、日本の学校に通わせれば良いではないか。日本の学校は在日韓国・朝鮮人の入学拒否なんかしていないのだから。
新藤宗幸というのは、嘘つきだし北朝鮮のお仲間であろう。

記事はこうも書いている。

> 「日本で暮らして税金も払ってるのに、補助金がなくなるのはおかしい」。
>関東地方の朝鮮中級学校(中学校に相当)に通う女子生徒(15)は訴える。
>神奈川県の朝鮮学校に子ども3人を通わせる在日2世の女性(46)も「民族の言葉や歴史を学ばせたいだけ。
>教育と国同士のことは切り離して考えて」と言う。


日本で暮らし税金も払っているのは、日本では、安全で便利で豊かで自由な暮らしを享受できるからである。
税金だけ取られて、そうではないというなら、半島へ帰れば済むことである。
北朝鮮という帰ることが可能な場所があるではないか。在日韓国・朝鮮人は祖国喪失者ではあるまいに。
帰国費用がないというなら寄付を募ればよい。
或いは日本政府が用立ててくれることは間違いない。
朝鮮学校補助金をそれを回すことには日本国民も反対はしないと、このブログ主は断言してもよい。


>「民族の言葉や歴史を学ばせたいだけ。

ならば、日本の学校に通い、放課後、「民族の言葉や歴史」はその為の塾かどこかで学べばよいではないか。

こんな理由にもならぬ事を言って、勝手なことばっかり要求しているから、彼ら在日朝鮮人は、「在特会」などのデモにおいて、「ストーカー民族」とか「寄生虫」とか「ゴキブリ」とか「半島へ帰れとか「朝鮮人との共生を拒否する」などと言って罵られるのだ。
そして叫んだ日本人は、「ヘイトスピーチ」だ、「レイシスト」だ、などと言われ不当に指弾されるのだ。
それも、「ヘイトスピーチ条例」なるものによってだ。

日本国民が糾弾せねばならないのは、そんな彼等の勝手な要求を許し、けしかけ、応援し、煽っているのがバカ朝日だということであり、日本人にとって最も重要だともいえる「表現の自由」、わざわざ憲法にも記載されているその自由を圧殺する「ヘイトスピーチ条例」なるものを後押しをしているのがバカ朝日だと言う事なのである。



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Author:CHUU
昭和20年(1945)年敗戦の年生まれ。
小学生時代からの朝日読者。

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