高橋源一郎。はずれっぱなしのノー天気男

平成27年6月26日(金)    平成25年9月ブログ開始
高橋源一郎。はずれっぱなしのノー天気男。



平成25年6月25日  東京本社朝刊 17面  論壇時評 
憲法と民主主義   独学で見えてきたこと
作家   高橋源一郎

随筆とか評論を読むことは、このブログ主にとっては、近所を散歩することに似ている。
特定の目的はなく、まあ歩くのだから身体の健康にはいいだろうし、面白い光景にも出合えれば、気晴らしにもなる。
つい立ち止まって眺めてしまうような光景は、その人が日頃関心を持っいることに出くわした時だ。
犬好きなら、主人と散歩している犬に出くわしたときは犬に注目が行く。
この犬は何種?雑種かな?随分主人に可愛がられているな、いやそうでもないか?
躾具合はどうかな?などと。
住宅に関心のある人なら、新築の家など見かけると、つい値踏みまでしてしまう。
安っぽい建売だなとか、純和風の立派な個人邸などみると、その庭の趣味の良さに感心しつつ、こりゃ、一億円近くかかってるなと、更に一体この建築主はこの建築費をなんで稼いだのだろうか、出世して企業のトップになったのか?あるいは単に親の遺産を受け継いだだけなのかな?
などと興味は尽きず、邪推にまで行ってしまう。

そして今回、この高橋源一郎の論壇時評では、ブログ主が興味を覚えて立ち止って眺めたのが以下の箇所だ。

判決文よりも、その補足として書かれた田中耕太郎最高裁長官の意見が、異様なほど「合憲」推しで、そのアツさにびっくり。
参考のために『砂川事件と田中最高裁長官』(〈5〉)を読み、田中さんが駐日アメリカ公使と入念な打ち合わせを
していたことにもびっくりした。日本の「司法」はアメリカの意向を大切にしていたのだ。
だが、いちばんびっくりしたのは、「法」というものが、この「司法判断」のように、ときに大きく社会を動かしてしまう力を
持っている、という事実だった。


ブログ主は、『砂川事件と田中最高裁長官』なるものを読んではいないが、高橋が、田中(最高裁判官)さんが駐日アメリカ公使と入念な打ち合わせをしていたことにもびっくりした。日本の「司法」はアメリカの意向を大切にしていたのだ。
と書いていることだ。
そしてそれ以上にびっくりしたことがあるとも書いているのだ。

ブログ主は立ち止って、つい声が出てしまったものだ。
オイオイ。時の最高裁長官が、独立国家・日本の司法機関の最高権者が、その判決を言い渡すに当たって駐日アメリカ公使と入念な打ち合わせをしていたのだ。
それを、「日本の『司法』はアメリカの意向を大切にしていたのだ」という表現で済ます高橋の神経。
しかも、それ以上にびっくりしたことがあるとも書くのだ。恐れ入りました。

いくら日本国憲法がアメリカから押し付けられたものとは言え、これを日本国民は受け入れたのだ。日本人の持つすばらしい憲法だ、というのなら、何をアメリカにその運用にあたって相談する必要があるものか。
しかも、砂川事件の判決は第一審も、最高裁判決も1959年のことだ。日本がサンフランシスコ講和条約に基づいて独立を果たしてから8年もたっている。
だが現実は、未だ属国だったのか日本は、独立はしていなかったのではないか、独立はウソだったのだ、日本国民を騙していたのだと言うことになるではないか。
このことに触れぬ高橋って、バカ以外の何者でもないではないか、ということになる。

扨て、お次は以下の文だ。
高橋はこう書く。

また、「法学教室」の巻頭論文で、佐藤幸治さんは、現在の日本国憲法を「立憲主義の到達点」とした上で、ドイツ憲法(基本法)草案にある、こんなことばを引いている。 
「国家は人間のために存在し、人間が国家のためにあるのではない」


「(憲)法」は、国家のあり方を規定する。「(憲)法」や、その解釈が変えられるということは、国家のあり方そのものが変えられることに他ならない。特集から伝わってくる学者たちの切迫した思いは、その事実からやって来る。

何処から何処までが佐藤幸治さんの「巻頭論文」からの引用かわからぬが、

「国家は人間のために存在し、人間が国家のためにあるのではない」
これだけだとしよう。

国家を嫌悪し、悪し様に言う者が持ち出す有名な文句、論拠だ。
まあ高橋は国家を悪し様には言ってはいないが、国家なるものに不信感を抱いていることは間違いあるまい。だから持ち出したのであろう。

国家を毛嫌いする者の言い草は、
国家を信用するな。
国民は国家の奴隷ではない。
国家権力は悪だ。
国家を信用するな。
国家のためになんか死ぬな。
国家(日本)を打倒せよ。
国家は個人を虐げる。
なだなど、他にもあったか?

だが、この、「人間が国家のためにあるのではない」という文句に接した時、当然、以下のようにも言い換えることができると思いが至らないのだろうか?彼等の頭にも高橋の頭にも。

憲法(国家)は国民(人間)のために存在し、国民(人間)が憲法(国家)のために存在するのではない。
と。

「安保法制」を「違憲」だ「違憲」だと具申する学者たち。政治は現憲法を守らねばならぬと言う憲法学者たち。
彼らは、少なくとも独立国家日本の国民ではない。アメリカにそそのかされ、強制され、申請して許可をもらった憲法を後生大事に抱き、其れにすがって判断を下しているのだから。

あるいは、たとえその憲法がアメリカの意向に関係なく、日本国民自らのの発意により出来たものとしても、「人間が国家のために存在するのではない」という以上「人間(国民)は憲法のために存在するのではない」のであるからして、憲法を絶対に守らねばならぬと言って譲らぬ学者は憲法に殉じるバカ者ということになる。

こんな簡単な真理に行き着けぬ高橋ってのは、一生かかっても「逆上がり」の出来ない運動神経の持ち主の小学生みたいなものだ。
お勉強ご苦労様。




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昭和20年(1945)年敗戦の年生まれ。
小学生時代からの朝日読者。

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