バカがバカに語る。石田淳と吉岡桂子。

平成27年10月29日(木)    平成25年9月ブログ開始

バカがバカに語る。吉岡桂子と石田淳。



平成27年10月16日  東京本社朝刊 オピニオン 15面 
インタビュー/国際政治学者石田淳さん
抑止と安心供与両方を備えてこそ
リアリズム持つ



哲学、政治学、社会学、科学、物理学・・・憲法学と言うのもあるそうだ。
このブログ主CHUUは、およそこのアカデミックな「学」のつく学問とは無縁だ。もちろん学んだこともない。
じゃ何を判断基準にしてこのブログに文を綴っているかと言えば、生まれてこの方70年にわたっての実生活で、この頭に入ってきた種々雑多な情報にもとづいてだ。

それは家族、友人知人、学校の先生、職場の仲間、商売相手等々との交流、新聞雑誌、ラジオ、TV、雑誌、著作物等々を通じて我が頭に蓄積されたものだ。
果たしてこのブログ主CHUUの言ってることが正しいのかどうかはわからない。
正しいと思って書いているだけである。
それはこのブログを読んだ人が判断することであろう。

今回は、この国際政治「学」者・石田淳だ。
東大の国際政治「学」者と言う肩書だから、なんや知らんが、たいそうな人なのではあろう。
学問的権威があるのではあろう。このバカ朝日に登場しているのだから。

しかし、この記事を読む限りにおいてだが、このブログ主に言わせれば、「なんだかなー」の連続である。
見出しからして、「抑止と安心供与両方を備えてこそリアリズム持つ」などと、
当たり前田のクラッカーであり、「なんだかなー」と思わせるのである。

そういえばバカ朝日にしばしば登場する「学」者に藤原帰一という東大の教授で国際政治「学」者と例の「アジア女性基金」をリードした東大名誉教授で国際法「学」者の大沼保昭がいる。
この御両人のことも、バカ朝日に書いていることを読む限りにおいてだが、やはり、「なんだかなー」の連続であった。

ところで話変わって恐縮だが、この大沼保昭の娘さんは自民党の参議院議員である大沼瑞穂であることを知った。
それは、例の参議院における安保関連法案の採決時、まさに議長席において民主党の議員どもが採決を阻止しようと
鴻池議長を襲っている時であったが、それを後方で見守っていた大沼議員を津田弥太郎・民主党議員が後ろから羽交い絞めにして後方へ引きずっていったのであった。
一体津田は何をしようとしたのか?国会委員会の場で、それも女性に対するそんな暴力は必要あるまい。まさにこれは婦女暴行せんとする行いであった。
ブログ主は、政治とは結局殺し合いに至るものだと書いた事がある。
この津田弥太郎・民主党議員の行為も、勿論人殺しではなかったが、まさに政治の熱狂が暴力と言う人間の野卑な本能にスィッチを入れさせてしまった瞬間であると、このブログ主は見たのである。

それにしてもこの破廉恥漢にして獣心男の津田弥太郎に対するお咎めは何かあったのであろうか。
我々は、政治を野卑な暴力に訴えて行わぬ為に、わざわざ議会を設定し、言論で戦うという忍耐と時間と手間のかかる方法を採用しているのだ。
だから議会で暴力を働いた議員などは、即刻厳罰に処し、追放せねばならないのだ。政治家の資格などないのだ。

話をに戻そう。
見出し文に「なんだかなー」と思ったブログ主の感想は、それに続く以下の出だしの文章にそのまま「なんだかなー」と続くのである。
こうある、

 ――新しい安保法制をどう考えていますか。

 「まず、集団的自衛権の行使は内閣法制局による従来の憲法解釈を外れるので反対です。安全保障の根幹は国家として大切だと考えるものを守り抜くことです。その対象には、国民の生命、財産、領土だけではなく、憲法上の価値や理念も含まれる。安全保障のためとして、憲法をないがしろにしたのは皮肉なことでした」


内閣法制局による従来の憲法解釈を外れるから反対」と言うのだ。
法制局と言うのは時の政府の一部局に過ぎない。
時代の変化、国際状況に対応するため、あるいは国民の要望に応える為変えるのは、変わるのは当然ではないか。
その時の政府の一部局の憲法解釈が変えてはならぬ唯一無二、金科玉条なはずはあるまい。
そして、
守り抜くべきものは、国民の生命、財産、領土だけではなく、憲法上の価値や理念も含まれる」と、いうのだ。
普通、守り抜くべきものというなら、国民の生命、財産、領土領海領空に加えて、国民がその歴史始まって以来受け継ぎ、築いてきた国民共有の歴史、文化、連帯感、価値観、創造性、即ち国民としてのアイデンティティーなどと言うものであろう。
それを挙げずに、わざわざ「憲法上の価値や理念」というのだ。
憲法上の価値や理念は、その時代確かに守らねばならぬものだが、これでいいのかと、もっといい価値や理念はないのかと絶えず考え、検討しなければならない対象でもあるのだ。

このように、石田に言ってることは最初からなんだか変だ。

次にこうある、

 「安保法制を推進する立場の議論は、脅威の存在を所与のものと考える抑止論に偏っており、安全保障論を都合良くつまみぐいしたものです。欠けていた論点を考えることで、今後、どうすれば日本の安全を損なわずにすむかが、見えてくるはずです」

脅威の存在を所与のものと考える抑止論に偏っており、」
と言うが、脅威の存在を所与のものと考える以外に何がるというのか。それがすべてと言ってもいいくらいだ。
よく性善説に立つか性悪質に立つかなどと言われるが、政治家ならば人間個人に対応する時はともかく、他国、他民族への対応は性悪を前提にしなければならないことは当たり前のことである。
その前提でしか抑止論は意味がないのである。
ホント、石田の言ってることは常識外れだ。

こんなのがまだまだ続くのだ。ウンザリだ。
付き合ってられないので後一つだけ取り上げて終わりにする。

 ――タカもハトも飼う。では、(周辺国への)安心供与の手段はなんですか。
の質問に対し、

 「多面的です。まず、自衛権の行使を必要最小限にとどめる法律の拘束力があること。そして、外交に民主的な統制がきく国だと周囲から理解されることが大切です。歴史修正主義も自制すること。敗戦国が歴史を書き換えようとしては、関係国はサンフランシスコ講和条約や東京裁判で固定したはずの戦後の現状への挑戦と受け止めますからね」

と答えている。
見過ごせないのは、

歴史修正主義も自制すること。敗戦国が歴史を書き換えようとしては、関係国はサンフランシスコ講和条約や東京裁判で固定したはずの戦後の現状への挑戦と受け止めますからね」

と言ってることだ。
とんでもない、日本が悪者・侵略者と規定され、敗戦国として押し付けられた東京裁判の判決、それにもとづくサンフランシスコ講和条約、GHQの施政、これは書き換えられなければならない。
日本人の手によってだ。
日本の政治家がこれに挑戦しなくてどうする。この挑戦なくしては日本が日本ではなくなると言う事ではないか。
一体石田というのは日本人なのか?

そうか、国際政治学者とやらだ。どうせヨーロッパかアメリカの大学かそこらで国際基準とやらのグローバル・スタンダードやらの即ちアングロサクソン・モデルを学んできたのであろう。
いやその色に染められて来たのであろう。
日本人としての確固たる自覚と誇りをもってはいなかったのであろうから。
その学んだことから、あーだこーだと何の役にも立たない御託を並べているだけなのだ。

経歴に、「リアリズムを踏まえた国際政治の論客として知られる故坂本義和東大名誉教授に学ぶ」とある。
そういえば確か国際政治「学」者・藤原帰一にも同じような経歴が付いていた。言ってることが似てるなと感じたはずだ。
そして坂本義和と言えば、バカ朝日御用達の第一人者の学者であった。

取材をした編集委員の吉岡桂子の「取材を終えて」を読むと、彼女も石田の御高説に仰る通りとは納得がいってない様子だ。
これはブログ主の偏見・邪推か?



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昭和20年(1945)年敗戦の年生まれ。
小学生時代からの朝日読者。

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